ゲシュタルト崩壊

 

本文とは全く関係ありません。悪しからず。
 
最近、寝働寝働食寝働寝働食…っていう単調な毎日を繰り返してたら、突然
「ていうか電車っていう鉄の箱に大勢の人間が入ってドアが開いて降りて乗って…ってなんだよプゲラ」
とか
「『いらっしゃいませ』って何だ? もういらっしゃってる人に『いらっしゃいませ』って何だ? そもそも俺はいらっしゃって欲しいのか? そしてこんな事を考えながら言う『いらっしゃいませ』は果たして『いらっしゃいませ』なのか? そもそも俺は今『いらっしゃいませ』と言えているのかアハハァ」
 
とか、とにかくワケのわからない思考に陥る。
 
コレが所謂「ゲシュタルト崩壊」ってヤツなのかなぁ…と思って、何気なくぐぐってみた。
 
なんか最近のBlogがやたらとヒットするので、
「最近の若いヤツはすぐにゲシュタルト崩壊しやがって…」
って思ってたら、どうやら最近トリビアの泉ゲシュタルト崩壊を取り上げたらしい。
…うーんシンクロニシティかこれは!?
 
で、トリビアでは「持続注視による漢字のゲシュタルト崩壊」をやったらしい。
Blogによっては、
「漢字をずっと見てると意味がわかんなくなるのがゲシュタルト崩壊である」
って書き方してるのもあったけど、それは説明しやすい視覚の例だろ、とここでツッコミ。
ゲシュタルト崩壊とは「全体性・連続性を見失い、事象を個別でしか認識できなくなること」だった…と、思ったんだけど(完全うろ覚え)
そこんとこどうなんでしょ、認知情報科学講座の皆さん!
 
って、なんでこんなこと書いてるのかというと…何でだろ。
 
コレがゲシュタルト崩壊だ!
(って大袈裟なモンではなく、単にDenimが○○なだけでは…)